智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世はすみにくい。
夏目漱石の「草枕」、有名な冒頭の一文だ。
ここで漱石がいう「人の世」とは今でいえば地域社会、生まれ故郷、そんな比較的小さなコミニュティのことだろう。
小さなコミュニティでは理知的な割り切りだけでは他人と衝突するし、かといって気遣ってばかりでは足元をすくわれる。主張をつっぱりすぎても身動きが取れなくなる。
このあたりは今も昔もたいして変わらないのかもしれない。
そして文章はこう続く。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
そうそう、いっそどこかへ逃げ出したい。
隣の芝生はいつでも青い。
でも世の中そんなに甘くない。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
うん、たしかに。
人でなしの国には住みたくない。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
変えることができない境遇ならば、せめて置かれた場所で咲き誇りたい。住みにくさが宿命の小さなコミニュティを住みよくする、つまりは課題解決に役だつ職業が詩人、画家、書家、陶芸家、舞踏家、写真家、音楽家・・・
つまりはアーティスト、そんな風に言えそうだ。
けれど、この尊い職業の人気はどうだろう。
小学生が選ぶあこがれの職業ランキングならまだしも、大学生が選ぶ就職ランキングで上位になっているのを見たことがない。
だって、お金が稼げないもの・・・
そう、アーティストが「お金を稼ぐ」のはむずかしい。
「モノの価値」が中心の世の中で、アーティストは「モノ」を生産しないからだろう。
貨幣価値の物差しでは、どれだけ人の心を動かしたかを測れない。
それでも人の世にはアーティストが必要だ。
人の心を豊かにすること、そんな見えないものにも「価値」を認める世の中にしたい。


