今年も庭のチューリップが咲き始めた。
品種の違いで多少の前後はあるものの、毎年この時期になると競うように葉を伸ばし、つぼみを膨らませ、それぞれの姿で開花する。
ついこの間まで、厳しい寒さの中、芽も出さず土の中でじっとしていたのがうそのようだ。
成長の喜びはチューリップに限らない。
近ごろらっきいの周りでは孫が生まれておじいちゃん、おばあちゃんになる友人たちも増えてきた。
会うたびに見違える子供たちの成長には無条件に顔がほころぶ。
「成長」
身長が伸びる、売り上げが伸びる、 成績が伸びる、株価が上がる、資産が増える、仲間が増える・・・ どんなことだって成長は魅力だ。
昨日より今日、今日より明日と成長を実感することで人は幸せになれる。
そのことに疑いはない。
経済成長
同様に経済も成長した方がいいに決まってる。
ただし、「経済」が本当の意味での「経済」であればの話だ。
ここでいう経済は人びとが相互に関わり合い、役に立ちあう活動のすべて。
普段あまり意識することはないけど、人が一人でできることは限られている。
今朝目覚めてから使ったもの、食べたもの、利用したものを思い返すと、
歯ブラシ、コップ、スプーン、フライパン・・このくらいなら時間をかければなんとか自分で作れるとしても、冷蔵庫、電子レンジ、スマホ、パソコン・・こうなってくると作るのはおろか、その仕組みの解明さえ一人きりでは無理だろう。
シリアル、卵、牛乳、コーヒーなんてとても自給できそうにないし、電気やガスなんて意味不明。
蛇口をひねれば出てくる飲み水さえも、どこまで行けば手に入るのか思い浮かばない。
当たり前のように思える日々の生活が、会ったこともない他人に支えられていることに今さらながら気づくことになる。
こんなふうにモノやサービスや情報や技術、これらを効率よく交換することで私たちは豊かな生活を送ることができる。
この仕組み、そのものが経済だ。
一方で、普段私たちが「成長した」だの「停滞している」だの言っているのは、実は経済の一部分にすぎない。
それは、1万円とか100万円とかいうように貨幣価値で測れる、つまり、お金に換算できた部分だけだ。
GDP
経済の規模を測るうえで、最も重要視されている指標がGDP(国内総生産)だ。
市場で取引されたモノやサービスの価値を合計したもので、経済成長とはGDPの増加とほとんど同義と言っていい。
今、わたしたちが生きている資本主義世界の根本ルールはこのGDPを競い合うこと。
そのルールの中では望むと望まざるにかかわらず、誰もがGDP増大に貢献すること、「成長」が求められる。
でも、経済を「貨幣価値」でしか測れないGDPには、プライスレスなモノやサービスや情報や技術を見落としてしまうという大きな欠陥がある。
人の幸せはなにも貨幣で測れるものばかりではない。
- 事業者による介護はGDPに反映するけど、家族による介護の貢献はGDPに反映しない
- 保育園での保育はGDPに反映されるけど、家庭内での育児の手間はGDPに反映しない
- 映画鑑賞はGDPに反映するけど、夕陽を見た感動はGDPに反映しない
- 横浜アリーナでのライブイベントはGDPに反映するけど、神社の秋祭りでの高揚感はGDPに反映しない
- 花屋で買った花束はGDPに反映するけど、庭のチューリップを鑑賞した喜びはGDPに反映しない。
こんなふうにGDPには反映されないけど、人が幸せに生きていくために大切なこと「隠れた価値」はいくらでもありそうだ。
なのに経済成長、つまりGDPを増やすことに囚われて、こうした「隠れた価値」をおろそかにしたり、犠牲にしたりしてはいないだろうか。
GDP競争の裏で広がる様々な格差、メンタル不調、環境悪化や生態系の破壊。
結果としての幸福度の低下。
なんのための経済成長か、ということを考えればGDPに反映されないけど大切なものも見えてくるはず。
ファイナンシャルプランニングではお金の価値にフォーカスされがちだけど、その目的は一人一人異なったライフプランの実現。
隠れている価値にもっと目を向けよう。


