幸せな人生を送るためには自助努力が必要。
その通りだろう。
「自助」といえば19世紀の半ばに書かれた、サミュエル・スマイルズの「自助論」が有名だ。
「天は自ら助くるものを助く」という格言を一度は聞いたことがあるかもしれない。
過去、運命をすべて「神」に委ねてきた時代の人々にとっては、自分の力で運命を変えようとする自助はある意味でおこがましいものだった。
それが、ルネサンスや宗教改革を経て人間が自らの可能性に向き合うようになったおかげで、「自助によって運命を変えられる」と信じることができるようになったんだろう。
「自助論」は日本でも明治初期に中村正直が翻訳した「西国立志編」のあと、現代にいたるまで亜流も含め数々の形で出版されてきた。おそらく日本人の価値観に与えた影響も小さくない。
そして自助努力は尊いものとして推奨されてきた。
ところが、時にはこの自助努力が強迫観念になって自身の人生を苦しめることがある。
自助疲れ
スマイルズの言葉にもらっきいには腑に落ちないものがある。
外部からの援助は人間を弱くする。
自助原理主義とでもいうべきか。
これは少し行き過ぎだろう。
人間は孤立して生きていけるほど強い動物じゃない。
逆に、他者との連携、協同、共生、助け合いがあったからこそ文化文明を築き、結果として繁栄してきたといえる。
なんでもかんでも自助で頑張ろうとしすぎると、いつか自助疲れしてしまう。
三助
大地震などに備える防災用語で「公助」「共助」「自助」という言葉を聞いたことがあるかな。
「公助」とは、国や地方自治体、消防や警察、ときには自衛隊による救助活動や支援物資の提供など、いわゆる公的支援のこと。
「共助」とは、地域での避難協力や、ご近所どうしで消火活動を行うなど、周りの人たちと助け合うこと。
そして「自助」とは、家庭で日頃から災害に備えたり、災害時には事前に避難したりするなど、自分で守ること。
もとは江戸後期の米沢藩主・上杉鷹山(ようざん)が掲げた政策に由来するという。藩財政も民の生活も困窮する中で、民の自助と近隣社会の互助、藩が手を貸す扶助の「三助」が必要だとした。
それが今では現代風にアレンジされて「公助」「共助」「自助」として引き継がれている。
そして、この三助の考え方は防災に限ったことじゃない。
例えば病気にかかって数週間働けなくなった時のことを考えてみよう。
もしもきみがサバンナのライオンだったら、狩りができずにやがては飢えて死を待つことになるだろう。
でも日本に住む現代のホモ・サピエンスは違う。
会社員ならしばらく有給休暇をとれるかもしれない。仕事をしなくても会社が給料を支払ってくれる。
これは共助といえるだろう。
有給休暇が切れたとしても、今度は傷病手当金が支給される。
しかも半年にわたってだ。
病院への支払いだって請求額の7割を健康保険が払ってくれる。自己負担は3割だ。その3割の負担も一定額を超えた分は高額療養費制度で賄ってもらえる。
これらは公助といえるだろう。
このように、我々の社会には普段はあまり意識しなくても、様々な相互扶助の仕組みが張り巡らされている。
航海は決して一人きりの力で完結するものじゃない。
風を利用し、波に乗り、クルーの協力を得て初めて長い航海を続けることができる。
知ってほしいのは、公助共助の大きさも知らないでやみくもに自助疲れしないでほしいということだ。

それを知らないと、今の生活を犠牲にしてまで病気が心配だからと保険に入りすぎたり、老後が不安だからと過剰な投資にチャレンジしたり、将来の年金ばかりを積み立てたりしてしまう。
将来の風向きは?
もちろん、先の長い人生航海でいつまでも追い風が吹いているとは限らない。

国の財政難、少子高齢化、人口減少、コミュニティの希薄化など、公助・共助をめぐる風向きは決して良いとはいえないだろう。
バランスの良い自助努力に励んでいくためにも、公助や共助がこれからどうなっていくのか、絶えず冷静に判断しないといけない。


