自然のルールは変わらない。
この世界が原子で構成されている限り、物理学の法則から逃れることはできない。
水は上から下に流れ、熱は高いところから低いところへ移動する。
人間もそう。
体温が10度も上がれば例外なく生きてはいけない。
体内のたんぱく質が凝固してしまうからだ。
体重の10%の水分を失えば、やはり生きてはいけない。
血液が巡らず細胞の活動が停止してしまうからだ。
実はこれら自然の法則だと思っていることでも長い目で見れば変化の可能性は0ではない。
ただそのためには地軸がずれる、太陽との距離が変わる、自転や公転の速度が変化する、そのくらいの変化が必要だ。
そんな変化は人間の一生を考える時には無視してもいいだろう。
一方で、人間「社会」のルールはどうか。
我々の社会を決定づけるルールはもっともっとぜい弱だ。
スポーツのルールを思い浮かべればいい。
フィギアスケートの採点方法が変わる、新素材の競泳水着や厚底シューズが禁止される、ストライクゾーンが変わる、試合に出場できる外国人枠が変わるetc…
だれかに都合の悪いルールはあっけなく変わる。
そしてルールが変わるきっかけには一つ共通することがある。
それは誰かが勝ちすぎることだ。
歴史を振り返れば枚挙にいとまがない。
王政の廃止、封建制度の崩壊、奴隷の開放、帝国主義、共産主義、軍国主義への抵抗。
どれもその時代には社会を形作る当たり前のルールだったはずだ。
だが、王や貴族、領主や資本家、宗主国、指導者、将軍様が勝ちすぎた。
今、われわれ多くの日本人がこの社会の不変の法則だと感じているルール、例えば資本主義、例えば自由主義、例えば人間至上主義で誰かが勝ちすぎてはいないだろうか。
長い人生航海を続けるうちにはルールが変わる可能性も意識しておいた方がいい。


