日本ではかつて、多くの大型客船が護送船団を組んでいた。
その船には毎年多くの若い水夫が乗り込んだ。
ひとたび出航してしまえば、あとは船内で与えられた仕事をこなしていうるちに、いつしか目的地にたどり着いた。
船内での待遇は多少違えど、たどり着くのはみな同じ港だった。
いったん船を降りたその後も、今度は乗客として航海を続けることができた。
途中嵐で多少揺れることはあったにせよ、頑丈な船体はびくともしなかった。
多くの船は巨大化したり新たに建造されたりしていたからいつも船員は不足していた。
古い水夫も新たな船で経験を活かせた。
若い水夫にとっては、船内での役割よりも、どの船に乗るかが重要だった。
名の知れた船に乗ることが、親の自慢になったりもした。
そう、大型客船は「有名企業」、たどり着いた港は「総中流」というところか。
そして今は昔のものがたり。
いつのころからか、
かつては名をはせた豪華客船に乗り込んでも、航海の途中で難破する事故が相次いでいる。
「総中流」の港を目指して乗り込んだ船がいつしか航路を外れていることもある。
最新式の船は操縦システムが頻繁に変わり、古い水夫の経験だけでは動かせない。
船員が過剰だからと途中の港で降ろされることだって珍しくない。
若い水夫にとって船選びはかつてほど重要ではないのかもしれない。
むしろ、その船でどんな役割を果たすのか、どんな技術を身に着けるのか、たとえ違う船に乗り換えたとしても困らないように、とそんなことがより重要になっている。
誰もが等しく総中流の港を目指す、そんなノスタルジーはしばらく味わえそうにない。
そして、これは何も悪いことばかりじゃない。
自分の決めた港を目指せる。
ひととは違った景色を見ることもできる。
多くのことを一人でこなす小さな船の方が、操船の腕が上がるかもしれない。
もちろん、身を守る航海術は必要。
自分自身で身に着けるのもよし、気の合う航海士を連れて行くのもよしだ。


